
“私は正しい”を手放した日から家族がみんな笑い始めた
40代:個人事業主
元大手企業勤務。
勤続15年、3人の子育てを支えながら
家庭も仕事も全力で走り続けてきた実力派。
7つの習慣アカデミー協会の会員歴:4年以上
私は3人姉弟の長女として育ちました。
家は裕福ではなく、
母はいつも疲れていて、
「お母さんみたいにはならない」と心の奥で決めていました。
だからこそ
強くなる=お金・知識・努力
と信じ込み、勉強も仕事も家族も全部抱え込んできました。
大手企業で15年働きながら、結婚・出産。
「私がしっかりしなきゃ」という
思い込みが常にあり、
気づけばいつも眉間にシワが寄っていました。
人生が止まった日──娘の不登校
真ん中の娘が小1の後半、
突然、学校に
入れなくなりました。
家を出ても、
校門の前で足がすくむ。
ついには押し入れにこもり、
何時間も出てこない毎日。
私は焦り、責め、怒鳴り、
無理やり連れて行こうとしました。
「頑張りなさい!負けちゃダメ!」
ある日、
泣きじゃくる娘が言いました。
「ママ。
私は別に負けてもいいと思う。」
その一言で、
心が崩れ落ちました。
私はずっと“正しさ”で
娘を追い詰めていたと気づきました。
7つの習慣を学びながら私が「緩んだ」理由
7つの習慣アカデミー協会で学んだ4年間で
一番大きく変わったのは
私自身が緩んだことでした。
緩む=手を抜くことではありません。
緩む=自分も他者もコントロールしない状態。
相手を理解するスペースが生まれた状態。
私は今まで
・私の方が知識がある
・私が正しい
・私が導かなきゃ
と、
家族を“正しさ”で動かそうとしていました。
でも第1〜第3の習慣を本気で実践することで、
自分の感情と向き合い、
母としての役割、
妻としての役割、
自分の人生の目的を
ビジョンボードに書き出していったら、
相手を理解したいと思える余白
が生まれたのです。
家族の奇跡:娘が「自分の意思で」教室に入った日
娘はその後、
少しずつ回復し、
別室登校→保健室登校を経て、
ある日、
下の子の授業参観のついでに
先生に声をかけたら、
「今日、教室にいますよ」
と返されました。
大勢の保護者が詰めかける中、
教室で穏やかに座っている娘を見た瞬間、
胸がいっぱいになりました。
それは
普通の教室に入れたから嬉しい
のではありません。
自分の心を自分で守りながら
自分の意思で
その場にいられるようになった。
その成長が、
心から嬉しかったのです。
料理が苦手だった私が“料理から解放された日”
私は
家事・料理が本当に苦手。
でも
「妻なんだから」
「母なんだから」と
義務で頑張り続けていました。
ある日、夫が言いました。
「そんなに嫌なら、俺がやるよ。」
最初は受け取れなかった。
罪悪感もあった。
でも手放してみたら、
夫はどんどん料理が上手になり、
子どもたちが「パパのご飯が一番!」と喜ぶほどに。
今、
私は料理を一切していません。
家族全員が笑っています。
これも、
私が“正しさ”を手放した証
だと思います。
母との関係の再生
私は
ずっと母を
「弱い」
「頼りない」
と判断していました。
しかし、
7つの習慣実践会を一緒に行い、
母が
どれほどの葛藤の中で生きてきたか、
どれほど私たちを守ってくれていたかを知り、
関係性が180度変わりました。
今では、
母は一番の理解者であり、
深いつながりを感じる存在です。
そして今
──仕事も家庭も“ラクで豊かな状態”へ
大手企業を辞めて4年。
今は、
・司会
・7つの習慣実践会ファシリテーター
・人から頼まれて始まった仕事たち
を、
自分のペースで続けています。
時間の自由も収入も整い、
“頑張らない働き方”でも
会社員時代と同等レベルを
得られるようになりました。
最後に──7つの習慣は
「力を抜き、本来の自分に戻る学び」
私は世界的ベストセラーから学ぶ
「7つの習慣アカデミー協会」に出会い、
ビシッと締まった人生や、
ルールで縛られる人生を送るようになったのではありません。
むしろ、
余白が生まれ、スペースができ、
肩の力が抜け、家族を愛せる私になった。
それが
一番大きな変化です。



